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Author:エース12
エース12のブログへようこそ。
脳幹出血で倒れて19年経ちました。
車椅子生活で、リハビリをボチボチやりながら毎日のんびり生活しています。

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秋祭り

先日、デイサービスの秋祭りに行ってきました。
今年も、施設側の人達が趣向を凝らしていて、利用者さんと見学する家族も楽しめる祭りでした。
フラダンス、踊りなどを見てから昼食の時間になり、2階の食堂に移動しデイサービスでご一緒する(旦那さんだけ利用者さんです。)ご夫婦と同じテーブルになりました。
普段は、あんまり話をしたことがなかったですが、これを機会に話せると思いました。
その話の中で、介護の難しさ、介護する人がどうやって息抜きしているかを、先輩ご夫婦に貴重な話を伺いました。
旦那さんが寝てから、75歳の奥様が息抜きで数時間バイトしているそうです。
介護する方は、長く介護を続ける為、色々な努力をされているんだと思いました。と他人ごとのように話をしていますが、ハタと私も介護されている本人であることに気が付きました。
話が終わり、妻がどこでバイトしているかの詳しく奥さんに聞いていました。

今年のメインは、テレビで何十年間人気がある、水戸黄門の劇でした。
8時45分頃にお決まりの名シーン、印籠を見せて「この紋所が、目に入らぬか!!エーイ控えおろう!!」と悪者を退治する、これが出てくると、もうそろそろ終わりだなと思いますが、このシーンを施設の職員さん達が面白く演じていました。
適材適所の俳優、女優じんでした。
普段は見られない、職員さんの違う顔を、見ることが出来ました。
仕事が終わって、一生懸命練習したのが伝わりました。
私は「アリーナ席ですよ。」と言われ一番前の席で楽しめました。
また来年が楽しみです。

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父の思い出

最近テレビで、義理の父親に小学生の子供が殺されるという、いたましい事件がありましたね。可愛そうでした。
実は私も、母が再婚した父親に育てられました。
再婚した時は中学3年生で、実の父が小6の時海で溺死し、三年しか経っていないのに、まず不潔という言葉が頭に浮かびました。
叔母さん達3人に私と妹が囲まれ、言いくるめられ、結局結婚することになりましたが、私達は猛反対しました。
父親は、二人もいらないと思っていましたから。
結婚式や披露宴をしないこと、そして子供を作らないことが条件で、結婚することになりました。
義理の父は20代の時、炭鉱の事故で目を悪くしました。それ以来40年間暗闇で過ごし、結婚前は長女の叔母さんの家に住んでいました。
私の母親が独身になり子供8人でまだ小さい子供もいたので、二人を結婚させよう、という話になったんだと思います。叔母さん達なりに考えたんだと思います。
義理の父は私に気に入られようと、何でもかなえてくれました。
私は次第にふかくにも、義理の父のことが気に入りだしました。
稼ぎも漁業で、お金に不自由しないくらい、稼いでいました。
頭も良かったです。
凄く賢かったというんでしょうか。
目が見えなくても、口が達者だから、いつも親戚の人から煙たがられていました。
でも子供達や孫達には、優しかったです。
義理の父は、私たち兄弟を自分の子供のように、育てあげました。
もう遅いですけど、簡単な結婚式位、やらせてあげれば良かったなぁ、と後悔しています。
私の妻が、いつだったか、母と話をしていて、「お母さんの幸せだと思ったのは、いつですか?」と、聞いていました。
母は、「再婚した夫と過ごした日が、一番幸せだった」と、言っていました。


長崎の海

母の思い出

異常に暑い夏ですね。
子供が小さい頃は夏になると田舎に帰っていましたが、最近は帰っていません。
墓参りに行きたいなと思いながら、母のことを思い出しています。
母のエピソードが多過ぎて、母を題材に手記が書ける位です。
今思い出す限り、やはり凄く変わっていました。
母は台所の流し台に、熱いお湯や料理の残り汁等を捨てる時、まるで誰かに話しかけるように、佐世保弁で「ホラー!みんなよけんと熱かばい!今から流すとばーい!」と言っていました。
台所の流し台には、小さな虫や動物がいて、火傷しないように、声をかけていたらしいです。
母が名古屋に来た時に、妻は「お湯を流す時は声をかけないといけない」と注意されたそうです。
妹に聞いた話ですが小学生の頃、学校の参観日に仕事だった時は、全く他の日に一人だけ廊下から参観していて、とても恥ずかしかったそうです。
妹が中学生頃までやられていたそうです。
母は、孫の怪我の治療法は、生米を噛んでその唾を付ける方法か、アロエだったそうです。(どこかの国の部族みたい?)
孫の保育園の遠足には必ずついて行って、何処へ行っても一番楽しんでいたのは、母だったらしいです。
母の笑顔が目に浮かびます。


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見えない力?

先日、妻がパソコンをしている時に以前からガタガタしていた椅子が壊れて、後ろに倒れたそうです。
危ないですよね。幸い頭も打たずケガもなかったので良かったです。
倒れたといえば、私は倒れて、40日間意識がありませんでした。
意識が戻り始めたのは、家族の力もあると思いますが、当時看護学校実習生の女性で、私の担当に付いてくれた可愛い女性のお蔭だったことは、主治医も認めています。
実習生の献身的な看護により、意識がはっきりしてきました。
そこまでで、その実習生とのかかわりは終わりになりますが、可愛い実習生にスケベ心を抱いていたのは私だけでしょうか?
病気の回復には、医学の他に見えない力が働いているような気がします。
と書いていたら、妻が「ただ若くて可愛い子が好きなだけでしょ」と呆れていました。
妻には逆らったらいけませんね。

最近思う事

もう倒れて20年目になりましたが、長かったような、短かったような、感じです。
この間に、長崎の両親、名古屋の義理の父が亡くなり、何人かの友達も亡くなりました。
過ぎ行く年月を、感じます。
脳幹出血すると、普通なら即死ですが、倒れて40日間も意識がなく、人工呼吸器まで付けて入院していた私が、生きているのは奇跡の様なものでしょう?!
いつも冗談で、残り40年しか生きられないと言っていますが、あと40年も生きられるとは、正直なところ思ってなくて、倒れて20年も生きられたから、子供達の結婚式や子供達の孫を抱ければ、もう十分かなぁと思い出しました。
まだ結婚していませんよ。
よほどこの世に未練があるらしく、頑張って生きています。
妻の介護の力や、子供達が生きる力を与えてくれるからだと思います。
そして私は、デイサービスでリハビリなどをでき、ショートステイで寝泊りだけして、自分の今月の予定すら分かっていません。
今日の予定は?と妻に聞くと、教えてくれます。
妻は私のことを、「のんきでいいねぇ。」と言います。
最近デイサービスで歌っている「ボケます小唄」みたいに、ボケているのかと思うようになってきました。
ボケます小唄の歌詞の中に、テレビばっかり見ていると、ボケますよ、とか女性に関心ある人、趣味のある人、ボケませんという歌詞です。
私は、テレビばかりを見ているからかなぁ、ボケるのかなぁ?とか、まだ女性に関心はあるから、ボケないなぁ、とか、思ったりしています。
倒れる前の若い時、無線と言う趣味はありましたが、今は喋れないから、やっていません。
でもさすがに自分でもヤバイなぁ、と思いました。
オイオイちょっと早過ぎるんじゃないか、と怖くなりました。
この前なんて夜中に寝ていて、泥棒に自分の部屋を覗かれた気がして、夢なのか現実なのかわからなくて、妻を起こして、娘の部屋や、リビングの窓の戸締りを確認させました。
最近毎日のように、勘違いなどがおきています。
これが、ボケの始まりなのかなぁ?と思います。
心配になって、デイサービスの看護士さんに相談したら、歳を取ってボケてくるのは、病気じゃないから心配ないと言ってくれました。
看護士さん達でも、よくあることらしいです。
例えば台所に物を取りに行って、あれ!何しに来たんだったっけ?とか。
やっぱり、ものを考えないと、自然とボケてくるらしいですね。

これからは、毎日の予定も人任せばかりにせず、自分でやったり、デイサービスで出る問題用紙にも、手を付けたりしようと思います。
そうすると、少しでもボケの改善になるのでは、と思います。

「ぼけます小唄」
1 何もしないで ボンヤリと   テレビばかりを 見ていると
  のんきなようでも 歳をとり   いつか知らずに ボケますよ
2 仲間がいないで 一人だけ   いつもすること ない人は
  夢も希望も 逃げてゆき   歳をとらずに ボケますよ
3 お酒も旅行も 嫌いです   歌も踊りも 大嫌い
  お金とストレス 貯める人   人の2倍も ボケますよ
「ぼけない小唄」
1 風邪もひかずに 転ばずに   笑い忘れず よくしゃべり
  頭と足腰 使う人   元気ある人 ボケません
2 スポーツ、カラオケ、囲碁、俳句   趣味のある人 味もある
  異性に関心 持ちながら   色気ある人 ボケません
3 歳をとっても 白髪でも   頭禿げても まだ若い
  演歌歌って アンコール   生きがいある人 ボケません

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曼荼羅寺公園の藤

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