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Author:エース12
エース12のブログへようこそ。
脳幹出血で倒れて17年経ちました。
車椅子生活で、リハビリをボチボチやりながら毎日のんびり生活しています。

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倒れた日の想い出

私は1999年3月末、朝8時頃運転中に脳幹出血になりました。今年の3月で15年経ちました。私が倒れた時のことは、今でもハッキリ覚えています。
健康な普通の人と、障害者になった境界線の日ですからね。
今、私が生きているからこそ、こうやってブログもできます。
リハビリにより少しでも良くなるように頑張ります。

倒れた日の少し前に、岐阜県可児市に嫁いで行った妹に会いに行き、帰りに近くの田んぼのあぜ道でつくしを採りました。
その数日後に脳幹出血で倒れるとは、予想もしませんでした。
その日が健康な身体で、家族全員で過ごした最後の行楽になりました。

倒れた当時の朝、確か少し寒かったと思います。倒れる前の前兆は、何日か前からありました。自分の血液がドクンドクンと流れる度に、ズキンズキンと頭が、痛くなりました。普通の頭痛だと思って、風邪でも引いたのかなと、軽く思っていました。仕事をしながら、風邪薬でごまかしていました。眉と眉の間、眉間のとこが強烈に痛みました。そういう方がいたら、要注意してくださいね。
当日の朝、会社へ出勤する為に運転していて、脳幹出血になりました。
日頃から生活習慣病には、気を付けた方が良いと思います。
何故なら私は、昔から不摂生のオンパレードみたいな人でしたからね。
会社の健康診断で、悪い数値が出ていても、何とも思っていませんでしたから。こうなって考えてみると、悪い数値が出ていた方は、気にした方がいいと思いますよ。
出勤する道路は片側一車線で、渋滞中でした。ここで車をいい加減に止めれば、大事故に繋がりそうでした。
とりあえず、無事に片側1車線の道路を左折できました。
当時の私の趣味は、アマチュア無線をすることでした。無線で遠くの人と話しながら通勤していました。それが日課でした。
私が利用していたのは、リピーターという離れた人とでも話せる、アンテナみたいな役を果たす機構でした。
でも、制限時間3分間を守らなければいけません。殆どの方が守っていなかったと思います。
リピーターを使わずに直接車同士話すなら制限時間はありませんが、電波の到達距離が短くなります。
倒れる瞬間に私は無線で遠くの人と話していました。当時は相当無線が好きでした。
次には、片側2車線の大きい道路の交差点がありました。本当なら私は会社に行くために、右折しなければならないところです。
薄れ行く意識の中で、普段なら見逃すような小さな駐車場が目に飛び込んできました。
知らない店の駐車場で良いからと、止める場所を探しました。運良く無事右折できた私はここしかないと思いました。
もう無線の交信などできる状態ではありませんでした。
無線の相手側は、心配して何度も?呼んでいたようです。だけどそれどころじゃありませんでした。
私の意識は、段々遠くなります。だけど車の流れは、出勤時で丁度ラッシュアワーでした。私は車のハザードを点けて、知らない店の駐車場に止めました。
それから、2本ぐらい電話をしましたが、もう言語障害が始まっていたので、何を言っているか判らなかったと思います。
電話を2本かけてから、3本目に家にかけました。妻が出ても私はアーアーウーウーと言っていたらしいです。
最初は、悪戯電話かな?と思ったそうですが、とっさに私からだ、と思ったそうです。私の通勤の道を走り、私を発見して救急車を呼んだそうです。
ハンドル側から助手席側に倒れ、断片的に意識はありますが、倒れて40日間の間、夜の夢を見ているようでした。
その意識を覚まさせたのは、遠く長崎からお見舞いに来てくれたおばさんでした。小さい頃から私に優しくしてくれていました。
こうして永いリハビリ生活を、始めることになりました。

あじさい


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コメント

 エース12さん、こんばんわ。
そうですか、意識がねえ・・・でも、読んでるとホントに運がいいという他ありませんねえ。よくTVでやってる様な、状況だったんですねえ。40日間も意識不明だったんですか?自分の場合は病院に搬送されるまでの隊員達の会話も全て覚えてましたよ。
不思議なというか、微妙な病気だと思います。自分みたいに全部意識あっても、数十日意識不明の人と逆の展開にもなる。
後遺症が自分は、何カ所も残って未だに自力歩行も出来ません。
逆に意識不明だった人が、普通に社会復帰を果たしている。
なんか凄く不条理を感じますが、まあ後の祭りになりますね。
救急車の中では、人間死ぬ時こんな感じになるのかなあっていう
事ばかり考えてました。発症時は痛いという感じじゃなく、
とにかく普通じゃない、いつもとは明らかに違うと思ってまして、その間にみるみる左に力が入らなくなり、立ってる事も出来ない程になりました。でも当日は平日だったんですが、偶然に
公休日でして、パチンコ屋にいました。丁度知り合いがいて、パチンコ屋もすいてて、従業員に救急車を頼んだんですが、その頃
住んでたのは3Fの階段でしか、行くすべのない部屋でして、
自分の場合も幾つかの偶然が重なってました。命が助かる時って
こうなんですね。しかし中途障害というのは、ホント辛かったですねえ。今でもたまに思う事ありますが、もう受け入れました。
そうしないと生きてく気力が出来ません。自分の場合は”助かった”というより”生かされた“という方が強く感じました。
若い頃、長きに渡り「ヤンチャ」してたものでそう思ったんでしょう。孝行しようと思ったら親はなしで、遅すぎたようでした。
今も訳のわからない後遺症で辛いですが、きっとこれも試練でしょう。どこまで生きられるかは分かりませんが、残された人生は
今迄出来得なかったことをやってみようと思ってます。
長文失礼しました。

脳幹出血

最初のHPに書いてあったのかな?
初めて聞く話でもあるようです。
すごいですね。きちんと駐車場に車を止めるなんて!
さすがエースさん。
長崎のおばさんのお見舞いのお話。
おばさまのエースさんを思うお気持ちが通じたのでしょう!

モンタン様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
40日間、家族が辛抱強く見守ってくれたと思いますよ。
ありがたいですね。今だったら、すぐ人口呼吸器のスイッチを切られていますよ(笑)

死を意識したのは、私にも1度ありました。
意識が覚めて暫くした頃に肺炎になり、血圧が凄く下がって意識が遠くなった時、人間ってこういう感じで死んでいくのかなあ、と思いました。
だから何にも怖くなくて、のんびり生きています。
中途障害になって凄く不条理と感じる時がありますが、仕方がないと諦めている部分もあります。
その反面、中途障害を受け入れられない部分も少しだけあります。
ちょっと複雑な気分です。
これからは私もモンタンさんが言うように、楽しく人生を過ごそうと思います。

たんぽぽ様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
昔の日記にも書いていましたが、少し詳しく書けるようになりました。
昔の文章を読んで見ると、頭が今より混乱していて自分でも意味がわからないと思う事があります(笑)
車をちゃんと止められたのも、運が良かったんですよ。
長崎から親戚のおばさん、従兄、友人がお見舞いに来てくれたようです。
私が目を覚ましたのは、きっと思いが通じたのでしょうね。
ありがたいですよ。

エースさん、こんばんは!
ご無沙汰しています。

壮絶な思い出ですね。
読みながら胸が痛くなりました。
通勤路を探された奥様のお気持ちを思うと涙が出ます。
よくとっさに駐車場がみつかったことです!

ウチの主人も、発症前の2週間くらいずっと頭が痛いと言ってました。
今でもたまに「あの時すぐに病院に行ってれば」と思います。
後悔先に立たずです。

sally様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
そうなんですか、カツさんも発症前は頭が痛かったのですね。
妻は電話で大変なことが起きたと思い、子供(小1と2歳)を車に乗せて探したそうです。
駐車場をすぐ見つけれたのは、不幸中の幸いでした。
PHS電話を持っていて良かったです。

当時すぐに病院に行っていればと後悔すること、私も時々あります。

15年経ったのですね

お久しぶりです。
当時の事をよく覚えていらして驚きました。
昨日のことのように読ませていただきました。
奥様が車で探しに行って見つけられたのは本当に感動です。
貴重な体験をお聞きしてからいつもと違う頭痛には気をつけるようになりました。

tachiko様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
15年経ちましたよ。
自分の目で子供達の成長を見られるのは、妻やまわりの人達のおかげと感謝しています。
貴重な体験をしましたが、もうあまり同じ体験はしたくありません。
倒れた何カ月前からかハッキリとは覚えていませんが、とにかく行くとこ行くとこで頭が痛かったです。
まさか頭痛ごときで、人生が変わるとは思ってもいませんでした。
いつもと違う頭痛には、気を付けてくださいね。

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